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勝沼氏館跡〜小山城跡  山梨県甲州市/笛吹市
令和6年(2025)8月26日  晴れ             参考地形図 石和

1.勝沼氏館跡  山梨県甲州市勝沼町

 広範囲が国指定遺跡となっている。指定範囲の四分の一を見学したに過ぎない。主郭部分と東郭のみの見学だが、それなりに整備されたものだった。西入口のトイレ横の部屋にパンフレットが置いてある。 パンフレットに拠れば、15〜16世紀に営まれた有力武将の居館跡で、武田信虎の弟・信友が勝沼衆を率いてこの地を拠点としていた。縄張は3期に分けられ、第2期が発展期で、3期では主郭の外堀・外土塁を埋め立て、屋敷を建てるなど防衛機能を失うような改変がなされる。整備の目標は第2期を目標にしている、と載る。

 見学用駐車場が遺跡の北に書いてあるが、不案内のため東の県立ワインセンター脇の東入口に着き、道脇に駐める。ワインセンターは東郭の南半分を占めている。目の前に主郭の土塁・堀が現れる。
郭内設置の図 東の入口・正面に土塁 入口から南を


 東辺の堀だが、南端に東門跡があり、石積みが確認出来る。虎口はL字に折れが付けられている。戻り北側に向かう。主郭の北は果樹畑が広がるが、縄張図には外堀が記されたいる。第2期の縄張だろう。
東門跡の石積み 北東の堀跡風景 堀跡を西に向かって


 西端に西入口があり、トイレ・案内の置いてある部屋が隣接する。主郭の北西隅から郭内へ入るのだが、縄張図に堀状の凹みがあり、橋が架かっている。門でもあったのだろうか、石積みも確認出来る。
西の入口 北西隅からの土塁 溝の橋と土塁


 説明には無いが、主郭の北側土塁の内側に浅いが堀状の凹みと土塁が見られる。郭内は建物群の平面復元・築地跡・櫓台跡などが見られる。排水路・水溜などの石組みがそこかしこに見られる。
内側に堀と土塁状が 建物群の一部 南西方向を眺める

水路などの石組み 櫓台跡 東門を内側から


 東郭は広いが、南には県立ワインセンターが誘致され建っている。図では敷地内に東門前を守るように堀・土塁が書かれている。堰門跡と標示があり、橋が架かる堀が見られるが、標示では水路となっている。東端には短いが立派な土塁が見られ、外側には堀跡を思わせる凹みが見られる。
東郭の堰門跡辺り 堰門の西側、堀(水路) 東郭端の土塁


  
2.小山城跡(こやま)  山梨県笛吹市八代町高家

 説明板に、室町から戦国時代の城跡であり、天川に面した崖の上に造られた。土塁と空堀を巡らしたほぼ方形の形状であり、土塁は最大5メートル、土塁隅には櫓があったと考えられる。空堀の幅は東辺で8メートル、南辺と西辺が15メートル、崖となる北辺は幅の狭い横堀となっている。土塁の西10メートルに「ごんぱち塚」と言う塚がある。宝徳2年(1450)に小山城主・穴山伊豆守信懸(ノブトオ)が小石和の武田信重を攻めたとの記録がある。大栄3年(1523)に南部下野守に攻められ落城し、穴山伊予守信永は常楽寺で最期を遂げた。武田氏滅亡・本能寺の変後の甲斐国をめぐる徳川・北条の争乱では、鳥居元忠が騎馬130騎、雑兵600人で守る・・・。と記されている。

 東虎口の前に数台は駐車可能。土塁は高く見応えがあり、虎口には石積みが見られる。トイレ前に城址碑が建つが、雑草で半ば隠れてしまう。
東虎口 虎口前の桃畑 草に埋もれる城址碑


 土塁法面、空堀には雑草が生い茂り、土塁の上(南東・南西・北西)に東屋が建つが、腰より高い草で北西の東屋一ヶ所に登ったのみ。 大きく崩された南虎口から道路に出て西に向かうが、木々・草が多く諦めたが、東屋から西下を見れば桃畑が広がり、西辺の堀が見え、再度桃畑に入らせて貰い堀を確認しに行く。説明板にあった「ごんぱち塚」と思われる高まりがあるが、これがそうなのか分からない。また謂われも不明。
虎口左の堀跡 虎口に石組み 土塁上の東屋

郭内、土塁が圧巻 南辺の堀跡・東寄り 南辺の堀跡・西寄り

北西隅の土塁から西辺の堀 西辺の堀跡を南に向いて ごんぱち塚?



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