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瓜生山(301 m)  詩仙堂~狸谷山不動院~瓜生山~曼殊院門跡
平成27年(2015)2月27日 曇り

 一乗寺下り松町バス停から東へ向かう。緩やかに道を登ると3・4分で変則な十字路に出る。右側には宮本武蔵で有名な一乗寺下り松が残されている。ただ現在は四代目とのこと。詩仙堂へ向かう予定だが、先に金福寺へ立ち寄ることにし、十字路を右折し道なりに行くと、細くなった先に小ぶりな山門が見える。拝観を請うため木槌で板を叩くと、住職なのか分からないが、奥から現れて対応してくれる。10時前で私しかいない。芭蕉庵と書かれた門を潜り庭へ進む。大寺院と違い小さいが、落ち着く景色である。先の小高くなった場所に芭蕉庵が建っている。元禄の頃、鉄舟和尚と親交を深めた芭蕉にちなみ、無名の庵に芭蕉庵と名付けた。約70年後に与謝蕪村が訪れた時は荒廃しており、芭蕉に私淑していた蕪村が再興したと書かれている。庵の裏手に蕪村の墓もある。庭側から本堂に上がり、堂内の三部屋を拝観できる。蕪村関連資料が多くある。
一乗寺下り松 金福寺山門を道路から 芭蕉庵

庵から見た本堂と庭 本堂内部 中央奥に蕪村の墓


 一乗寺下り松まで戻り、詩仙堂へ向かう。時季だけに人通りは少なく、時折タクシーが観光客らしき人を乗せ走り去る。7分で右手の詩仙堂の門に着く。紹介本に門は小有洞とあり、詩仙堂も正式には凹凸窠で詩仙堂は部屋の名前とあり、凸凹した場所にある住居との意味らしい。またパンフレットには詩仙堂 丈山寺となっている。十数段の石段をのぼると、石の敷かれた小道で両脇は竹垣が組まれ、周囲の木立と相まって落ちついたの中を行く。左の石段を登ると老梅関と言う小さな門がある。脇に数株の老梅があったとか。門正面には建物に付けられた雲形の変わった窓が見える。
詩仙堂 正門 門からの生垣の道 嘯月楼と雲形の窓


 受付を済ませ建物内へ入る。中には拝観者が10人ほどで、静かな見学ができる。名高い三十六詩人の詩仙の間には、狩野探幽の絵と、詩人の詩が石川丈山によって書かれている。室内から眺める庭もすばらしい。庭へは一度建物から老梅関を出て、建物を回り込むと庭園に出られる。花、新緑、紅葉の時季は見応えがありそうだ。隅に僧都(添水)と言い、ししおどしがある。他の本には日本で初めてとあるが、どうだろうか。ししおどしは野生動物から農作物を守るためのもので、それを庭に採り入れたとのこと。庭からの二階部分の嘯月楼が他にはない風景になっている。字では月を(が)うそぶくとなるが、月を観るためのものだろう。
室内から庭を眺める 庭から嘯月楼


 詩仙堂の左に接して八大神社の鳥居が建っている。参道には宮本武蔵を映画化した写真などが飾ってある。更に少し行った左の石段を上がった奥に社殿が建っている。石段を上った左手には宮本武蔵の銅像、下り松の当時の古木が一部小ぶりな社に保存してある。神社では一乗寺の産土神、氏神として「素盞嗚命・稲田姫命・八王子命」を祀っている。神社、寺と周囲に幾つかあるが、なぜ武蔵関連がここに集まったのか不思議だ。
八大神社鳥居 社殿 左手前に武蔵象 下り松の古木(社内)と武蔵像


 道に出て狸谷山不動院へ向かう。道は緩やかに上っている。すぐに狸谷山2百メートルと標識がある。上るにつれ所々で市街地が見え出す。5分位で祈祷殿が見え出す。自動車などの交通安全祈祷をする。更に行くと石段と鳥居が現れる。石段下には写真で見かける、信楽焼の狸を圧倒する阪神タイガースの優勝記念碑が建っている。二手に分かれる道の左は、鳥居を14基(?)潜った先に弁財天を祀っており、後ろにも鳥居が続き、道が合わさる。
祈祷殿 阪神タイガースの優勝記念碑 弁財天


 石段は250段らしく途中には50/250と、区切りのいい数字で狸の置物が案内している。七福神象を過ぎると、等身大のお迎え大師が迎えてくれる。足首・膝には、草鞋を象ったお守りらしき物が括り付けてある。少し上がった所に弘法大師光明殿を過ぎ、急な石段をの左上には、懸け造り(?)の本堂が眺められる。
石段数を示す案内狸 七福神 本堂までの最後の急石段


 登り切ると広い平坦地で、周囲には幾つもの御堂がある。本殿(本堂とも記載あり)からの展望が良い。祀られた不動明王の目だけが光って見える。本来は動物の狸ではなく、咤怒鬼(たぬき)不動明王で、いつからか「他を抜く」で、勝負・芸能関係者の信仰を集めている。本殿の反対には、宮本武蔵が吉岡一門と決闘をする前に滝行をしたと言われる、修行の滝があるのだが省いた。テレビ番組で観た記憶なのだが、数十年前には本堂はなく、岩穴の奥に不動明王が祀られており、今でも位置は変わらず、手前に本堂を造ったような内容だった。
下から見上げた本殿 本殿から見下ろす平坦地 本殿正面を見る


 本殿右の信徒会館脇を登って行く。入り口には「ここからはハイキングコースです」と注意書きがある。すぐに第一番こんがら童子の像が飛び込んでくる。右には元将軍地蔵尊道の石柱がある。道は今までと違い自然林の山道となる。十数歩間隔で二番・三番と童子象が祀られている。土の層は薄いらしく、岩肌の露出した箇所が多い。別本では白川石を産するとあり、昔から建築に使っていたらしい。また時間を掛け砂などが流れ出したためか、川床が白っぽく見えるようだ。
元将軍地蔵尊道の石柱標識 第一番こんがら童子 途中の道


 第十八番(りしゃび童子)の場所に尾根に向かう道があったが、脇の木に直進する方向に山頂と標識が掛かっている。先へ行くと急な下りになり、10メートル程の鎖が現れる。これでは下ってしまう思ったが進んでみた。特に鎖は使わなくても問題はない。更に下がると狸谷山三十六童子めぐりの標識が、塗料が剥がれ、朽ちかけて落ちている。下には木々の間から瓦屋根がわずかに見える。この時は狸谷山三十六童子巡りがあり、順番に巡れば山頂に行けるなどと全く分からず、このままでは本堂へ下るのではと思った。取りあえず第十八番まで戻ろうと引き返すと、第二十一番の先に山頂近道の標識があった。第十八番からの道を確かめたかったが、時間も押しているため近道を採用した。樹木の多い小さな尾根筋で、前方が開けると、瓜生山山頂の奥の院横に出る。
第十八番の前にある山頂標識 鎖場 奥の院近道の標識


 程よい広さの平坦地である。曇りのためか、樹間からでも展望はなかったと記憶がある。奥の院は瓜生山の鎮守である幸竜大権現を祀るとある。説明板に北白川城本丸跡・元将軍地蔵の説明があり、江戸中期に石造り地蔵は現将軍地蔵山へ移され、奥の院裏に石室が残っている。30・40センチの新しいお地蔵様が祀ってある。中年婦人6人グループが反対から登ってきた。これから八瀬まで行くのだそうだ。元気なご婦人方達だ。
山頂風景 奥の院 後が石室 社殿の後ろにある石室


 下山は同じ道を戻る。10分で本堂に着く。本堂下の弘法大師 光明殿、お迎え大師に足腰の安全をお願いし先を急ぐ。詩仙堂前から北へ入り、曼殊院門跡へ向かう。途中に圓光寺・西園寺を右に見ながら曼殊院通に出る。通りに出る前に五山の送り火の東山(法)が見える。薬品会社の薬用植物園の奥に門が見え出す。正門は勅使門なので、石垣沿いに回り込み、北通用門へ行く。
五山の送り火の東山(法) 勅使門と塀の風景 北通用門


 受付を済ませ建物内へ。庫裏、大玄関、渡り廊下で大書院、小書院、茶室、花の間等を周回する。特に書院から眺める庭は、枯山水の景色の良い庭だ。室内は撮影禁止なので庭の一部と表周りしか撮れない。色々な宝物は殆どが未公開なので、襖絵など幾つしか拝観できない。新しい物で、谷崎潤一郎寄贈の鐘が廊下隅に懸けてある。曼殊院通を西へ。別行動の妻と昼食のため、待ち合わせの白川通の修学院道バス停に向う。
枯山水の庭 枯山水の庭 谷崎潤一郎寄贈の鐘


 余談。昼食は高野川沿いに建つ「山ばな平八茶屋」へ。客は殆どいない。二階座敷を希望し通される。廊下に出れば、やや下に高野川が見える。桜、紅葉の時は綺麗とのこと。ランチ限定の麦飯とろろ膳を注文。麦飯とろろは、若狭街道(鯖街道)にある茶屋で、創業当時からあったと載っている。
平八茶屋 平八茶屋の入り口 ランチ限定 麦飯とろろ膳


一乗寺下り松町バス停 9:34(0.07)9:41 金福寺 9:57(0.07)10:04 詩仙堂・八大神社 10:24(0.19)10:43 狸谷山不動院本堂 10:59(0.20--6分迷う)11:19 瓜生山 11:30(0.10)11:40 本堂 11:40(0.13)11:53 詩仙堂前 12:00(0.13)12:13 曼殊院門跡 12:26(0.16)12:42 修学院道バス停

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