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田間城跡  散策
令和5年(2023)1月19日 曇り     参考地形図 東金・成東

 案内板の概略は「土塁と空堀で区画された主郭と、細長い第二郭が並ぶ城跡で、現在城山団地になる山小屋と呼ばれる腰郭があった。西のガンガン坂は切り通しで、城域を区切る空堀だった可能性がある。長軸500m・短軸240mの城域となる。土気酒井氏が土気からいったん田間城に移り、その後東金城に移ったとされるが裏付けがない。東金酒井氏の領域東の境目の城として機能し、天正18年(1590)に東金城の落城にともない廃城になる。」

 田間神社社殿左奥から登り出す。
神社前の案内板 田間神社 社殿左奥から


 社殿左からは東金の市街地が見渡せる。道は整備され歩きやすい。両斜面は竹林で密集していて見通しが悪い。一部虎口を思わせるような造りがある。
社殿横からの眺め 道の一風景 両側が高く城らしい


 主郭と二の郭を区切る堀切を通り、先には主郭と二の郭を合わせた長さの帯郭がある。北端に田間神社元宮と田間城跡の標識が建っている。
主郭と二の郭境(堀切) 先の帯郭に元宮 元宮と田間城標識


 帯郭の北斜面は深く落ち込んでいる。東端まで行くと竹林でよく見えないが、下は腰郭らしい。
帯郭から主郭の法面 帯郭の一風景 帯郭北斜面を


 主郭内の下草はさほど多くなく自由に歩ける。東から南に移動するが、境目から竹・木々が密生し様子が分からないが、一部で腰郭の存在が分かる所もある。西の虎口跡の土塁と凹みは木々の密生で、画像では全く伝えられない。
主郭の一風景 主郭東端から 主郭虎口遺構?


 帯郭を西に行くと、緩やかな下りとなり幾段かに整地されており、開けた場所からは近くに民家が見える。二の郭を西下にも帯郭があるが整備されず、踏み込みを躊躇する。行けば城門跡など見られたかも知れない。後の改変かは不明だが、堀切のような所がある。
主郭から元宮を 帯郭の西の一風景 帯郭の西の堀切?


 二の郭内は杉・檜林となり暗く、下草は多くはないが歩きづらい。一部下を覗けるが、西から南の斜面側は郭内より鬱蒼とし一部で僅かに法面が見える程度。東端は下に主郭境の堀がよく分かる。幾つかの堀があるだろうが、全体に土塁を含め見当たらず、腰郭・帯郭など高低差で防御していたのか。
小さな段差で郭が 帯郭から二の郭法面 二の郭から下を

二の郭内の一風景 郭南の堺 二の郭東端から主郭を


 ガンガン坂は訪問せず城山団地に寄ってみた。団地東下に小川が流れる幅広な低地があり、縄張図では東を守る天然の堀のようだ。山小屋と呼ばれた一帯の台地は戸建て住宅団地となり、整地時の境には熊野神社・城山公園がある。社殿の建つ平地は名残ではないと思うが、城側は木々が鬱蒼とし踏み込めない。
団地東の低地の川 城山団地境の神社 左は鬱蒼とし入れず



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