長部城址・椎名内城址 千葉県旭市長部見広/旭市野中
令和7年(2025)6月14日 晴れ 参考地形図 旭/岩部
1.長部城址
大原幽学記念館へ向かう途中で、道路脇に鏑木城址の標柱が目に入り、先のコンビニに駐車をお願いして数分引き返す。コンビニ側から見ると台地になる。城址碑の場所には堀跡、わずかな土塁が見られた。どこからか台地上に出る道があるようだが、この時点では知識がなかった。
  
コンビニに戻り長部城址へ。近くの道路脇には大きな駐車場があり、敷地内にハム屋さんが建っている。ここに駐車でも良いが、少し先で左折すれば、幽学記念館の駐車場に着く。正面高台に記念館、左右に城塁を思わせる急な斜面が続く。
  
記念館の右手に日本庭園があり、先には遊歩道が登っている。記念館の先には行く手を阻むように大きな土塁が現れる。
  
突き当たりの土塁を右に行けば龍ヶ谷へ、左奥には旧林家住宅が移築されている。解放されており、板敷きの部屋に上がれる。幽学が指導して天保年間に建築され、昭和60年代に当地に移築されたとある。住宅の東には高い土塁が続き、南前には土塁と幽学邸に行く切通が見える。切通を下がれば、右奥に門が見え出し、如何にも小振りな城門と云った感じ。
  
  
幽学邸は幽学設計で天保13年に建てられたと載る。三方は土塁状遺構で囲む。西には一段高い平地で、大原聖殿が建つ。神社許可が下りず、聖殿としたらしい。ここは改心楼跡と記され、嘉永3年に建築されたが、博徒の乱入の舞台となり、取り壊された。さらに西側から上れば、聖殿背後の土塁・城塁が際立っている。
幽学邸・門も先右に |
大原幽学旧邸宅 |
奥に幽学邸、周囲を土塁が |
  
  
上に出て左奥が龍ヶ谷となり、城址碑が建つ。説明板には、ここが主郭らしく、要害(ここでは、ゆうがい)と言い、50m四方の郭になるようだ。内部には大奥の碑が建つ。
  
2.椎名内城址
長禅寺が城址と言われる。境内には大きな本堂・鐘楼など幾つかあり、大きさから由緒ありげな寺に見える。山門手前の駐車場に駐めさせて貰う。山門手前左に堀跡が延びており、先で西に向きを変えるが、その先は入れず確認出来ない。
  
山門右前一帯は墓地になり、堀は消えている。境内との境の藪中に土塁を思わせる高まりが見える。北側の道路に出ると、境内地に沿って土塁が見え、その内側に凹み、さらに奥に土塁状の高まりが見え、この辺りは二重堀・土塁でもなっていたのか。更に西は堀が続き、堀は境内側に折れ、道路沿いは消える。土塁はそのまま残り、本堂裏の敷地まで続く。
  
寺の北西に琴平神社があり、左右に土塁状の高まりが確認でき、左下は会社だが、数m下がっている。ここまで城域だったのか。本堂裏は広い場所で、南北に溝が走り区分けしており、二ヶ所の石橋で本堂側と行き来できる。
  
中央に池だろうが、如何にも堀跡を思わせる。西と南には土塁が確認できる。この敷地には四国八十八ヶ所巡りの仏像が点在し祀られている。
  
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