山下長者屋敷〜高麗山(高麗山城) 散策 平塚/大磯町
令和7年(2025)12月8日 晴
山下長者屋敷は住吉要害とも言われる。説明板によれば、館主は記載なし。110m四方の単郭方形で、屋敷址と土塁・空堀を残している。伝説の一つに、仇討ちの曾我兄弟の兄・十郎祐成を助けた虎御前は、この屋敷の生まれとある。
案内板の立つ土塁跡しか分からない。西に50mの道路脇に水路を伴った藪(竹)があり、諸先人さんによれば土塁跡と載る。北に50mに東光寺・八幡神社があり、東光寺横に虎女住庵の跡と石柱が建っている。蘇我兄弟亡き後、出家し尼となりこの地に閑居したと伝わる。曽我物語には高麗寺の奥に籠もると書かれており、この地も高麗寺山下となっている。物語で言う地はここではないかと推定される、と載る。 立ち寄りを終えて湘南平へ向かう。
  
  
湘南平バス亭(駐車場)から少し上にレストハウスが建っている。上が展望台になっており、周囲が一望出来る。西には大山から丹沢山系、東はテレビ塔から高麗山方面、やや右手は相模湾、遠くに江ノ島も確認出来る。南から西にかけては富士山・箱根山系が眺められる。
| 湘南平レストハウス |
レストハウスから東を |
レストハウスから西を |
  
周辺は幾つものコースがあり、特に湘南平から高麗山はハイカーが多い。湘南平から小さく登り下りをし、浅間山を通り八俵山に着く。以前はここにもお堂が建っていたらしい。
  
すぐ東に大きな堀切があり、少し先にやや小振りな堀切が現れる。やや登って高麗山山頂に着く。城の主郭とあり以前はお堂が建ち、今も大堂(上宮)と読んでいる。主郭の西の土塁状の上が最高点になる。土塁に見えるのはお堂を建てる際に削平した残りとも言われる。東寄りの石段を下れば東天照(とうてんしょう)の分岐がある。位置的には主郭から北東に下り、登り返せば尾根をやや削平した二郭(?)に出る。
  
  
二郭東寄りに明確ではないが東側に堀切と言われる場所がある。少し下に東天照(とうてんしょう)の案内板があり、東の展望台の役目を果たしていた。鎌倉時代は白山社があったとも。先は急坂で下って高来神社・生涯学習センターへ行けるが、山頂下まで戻り女坂経由で神社に下りる。
  
神社背後で男坂と出会い、境内に出ればモミジが陽にに照らされ見頃であった。いろいろなHPに伊勢宗瑞(北条早雲)が、扇ヶ谷上杉氏と対立した際に取り立てたとある。その前にも戦のたびに陣を敷いたとも載っている。陣をおくには格好の要害のようだ。
| 男坂・女坂が合流 |
左が本殿・左は神楽殿 |
境内の一景色 |
  
湘南平から高来神社まで、休憩などを計20分くらいしたろうか、1時間40分ほど掛かっている。歩行時間は1時間20分程度であったろうか。
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