荻窪城址・上泉城址 の散策
令和7年(2025)6月19日 晴れ 参考地形図 大胡/前橋
1.荻窪城址 前橋市嶺町
説明板に、大胡城の出城であったと言われ、荻窪地区に伝わる古文書には、文和2年(1353)足利尊氏の末派、赤荻主馬之介智宜・同弾正智則が居城・・・。文書より古く、赤荻一族と推定される。
荻窪南公園の南入口の道路に駐車する。城址標識があり位置的に西の散策路入口らしい。駐車場は見当たらないが、公園入口に草が多く不明な空き地があり、もしかして駐車場か。時季が悪く夏草が生い茂っている中を先へ。公園は南北に長い谷戸で、城の西を守る。すぐに土橋と横堀があるが、篠などが多く分かりづらい。かき分けて進むと、ここが主郭らしく劣化した説明板とベンチがある。狭い郭だが北側に土塁、堀が遺っている。
  
  
主郭の東にも郭があり、土塁・堀が確認出来る。その南には民家がある広い郭がある。この辺りは私有地なのであまり中まで散策できない。南に下れば南の散策路入口に出る。この下った道も主郭南の郭と東の郭を隔てる堀だったのではないか。
  
  
2.上泉城址 前橋市小坂子町
上泉自治会館の広い駐車場を借りる。駐車場の北側に、新陰流の祖・上泉伊勢守の大きな顕彰碑・銅像があり、来訪者用の記帳ノート、一枚刷り縄張図が備えられている。郷蔵が建つ本丸は20数m四方の狭い郭だが、自治会館建設で南半分を削られたらしい。
駐車場横の碑と銅像 |
パンフレット |
道路から、城塁と郷蔵 |
  
郷蔵は明治42年まで本来の目的で使用されていたと載る。因みに蔵は群馬県指定史跡になっている。周りは金網で囲まれている。北側に堀があっただろう下は民家が建っている。縄張図に従い西林寺(二の郭)へ向かうと、南側は桃ノ木川に続く低地で、城址は台地の縁を利用しているのが分かる。
  
西林寺の東西の道は堀跡らしく書かれており、西の塀際も堀があったように見える。西林寺の更に西に出丸(玉泉寺)跡があり、境内北(裏)に大きな土塁が一部遺っている。また低いが北東角にも土塁が見られる。遺構としてはさほど見るものがない。町興しで一帯は、新陰流祖・上泉伊勢守の生誕地、西林寺の墓所を含め、剣聖(そう呼ばれている)一色の感がある。
  
玉泉寺本堂 |
玉泉寺北側(裏)の土塁 |
玉泉寺北東角の土塁 |
  
|