松井田城・後閑城 の散策
令和7年(2025)6月5日 晴れ 参考地形図 松井田
1.後閑城 安中市中後閑
案内板に、嘉吉・文安の頃、信州の依田忠政が築いたとさ、中後閑にある長源寺にある文明二年(1470)十月三日付けの依田信濃入道寄進状があるそうだ。その他は立地、縄張などが記されている。
駐車場からの散策路は公園化に伴い整備されたとあった。その道を右手に東郭群の城塁を見ながら上る。先が二股になり、右奥が東郭群だが、木々が多く全体像が掴みづらいし、画像では全く伝わらない。
  
東郭群から戻り主郭方向へ行けば、一段上がり東郭・本丸と二の丸間の大堀切に出る。左手が二の丸で、堀切側が櫓台跡とあり、以前の写真には模擬櫓(井楼)が建っている。二の丸は細長い郭で端に東屋が建っている。大堀切を先へ行けば左に南郭があり、右の本丸との堀切になる。ここまでの道は公園化で整備したと案内板にある。大堀切りと南堀切を結ぶ散策路であろう。
一段高く |
大堀切、左が二の丸へ |
櫓台、以前は櫓があった |
  
  
南郭も東屋がある狭い郭である。西郭は第一から第三まであり、縄張図では城内1,2を争う広さになる。郭は下草が刈られ広場になっている。大堀切りまで戻り本丸へ。まず東郭に入る。特徴のある郭に思えないが、本丸虎口下(前)を守る馬出風でもある。
  
東郭より高く本丸があり、法面を斜めに上る坂虎口になる。長い分、上からの攻撃をしやすい。本丸内は北側に東屋・石製の説明板、南側は一段高くなり、端に城址碑、周囲に庚申塚が立ち並んでいる。百庚申と書かれた説明板がある。ここの説明板はほぼ水平に設置されているため、読むには支障が無いが、画像は撮りづらい。
  
  
東郭に下りて北郭に向かう。東郭を下れば北第一堀切となり、北尾根を分断する。左手に西第一郭を見ながら回り込めば北第二堀切、北郭へは北側の北第三堀切を通り入る。郭は広くなく、ここも東屋が建っている。全体に大きな堀切の目立つ城址だった。
  
北郭の北端から南を |
北郭から第二堀切を |
北郭から第三堀切を |
  
2.松井田城 安中市松井田町高梨子
城中の案内板に、小田原北条氏の支配地の北西端に位置し、境目の城として重視され、重臣の大道寺政繁が配置された。天正18年の小田原征伐時に北国勢に攻められ、一ヶ月ほどの攻城戦の後、降伏し廃城となった・・・とある。
国道18号から右折し北に進むと、峠辺りに城址への入り口がある。左折し狭い道を上がれば、十数台分の東駐車場がある。城址入口に建物があり、パンフレットと書いてあるが物はなかった。縄張など分からないまま散策路を進む。入口背後に土塁・堀切がある。先にある浅い堀切を幾つか越える。
  
  
幾つか堀切を通ると丁字路になり、水の手と大手門・二の丸との分岐になる。先ずは大手方向に向かえば、ほぼシダ植物で埋まった横堀を過ぎ丁字路になる。右は連続竪堀と標示がある。標示はあるが竪堀はよく確認出来ず。通常の堀切が目立つ。堀切の斜面側を見なかったためか。戻り大手方向へ行けば、堀切を通り反対側に出る。先に大手門址が現れる。
  
  
大手門跡を越えれば本丸、馬出・二の丸の分岐になる。本丸は広いが杉・草などが多い。隅に一段高くなった場所に虚空蔵堂が建っており、櫓でも建っていたのだろうか。
  
櫓台跡・安中郭と標識があり、櫓台は本丸先端で、先は一気に下っている。安中郭は行かずに馬出へ向かう。一度分岐の堀切に出て上れば馬出に入る。馬出は土塁が一部、二の丸側に堀切があるが大方埋まっている。二の丸内も本丸同様、杉などが多い。本丸には無い土塁がきれいに残っている。下れば連続堀切へ行けるのだが、今回は引き返す。
  
  
水の手分岐に戻り平行移動すれば水の手に着く。沢を岩で囲って溜めているようだが、シダ類が密生し画像では分かりづらい。安中郭へも行けそうだが今回は諦める。
  
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